私たちは、がっかりして落ち込んだり、悲しんだりしますが
こういう状態は好ましいことではありません。
もちろん私たちがそのような状態になるにはさまざまな理由があるでしょう。
しかし、神様はわたしたちがそのような状態におちいることを喜びません。

旧約聖書に登場するエリアという預言者も同じような経験をしています。
彼は神様に自分の死を願うほどに苦しみました。

神様はその時何をなさったでしょうか?
天から御使いを送ってエリアを助けました。

「御使いが彼に触れて言った。『起きて食べよ。』
見ると、枕もとに焼き石で焼いたパンと水の入った瓶があったので、
エリアはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。
主の御使いはもう一度戻ってきてエリアに触れ、
『起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ』と言った。
エリアは起きて食べ、飲んだ。
その食べ物に力づけられた彼は、40日40夜歩き続け、
ついに神の山ホレブに着いた。」

自分自身が、また友だちががっかりして落ち込むような状態になった時、
神様がエリアになさったようにしましょう。
心から同情し心配するだけでなく、具体的な助けを与えましょう。
わたしたちは困っている人をただ一回だけ助けるのではなく
その人が回復するまで長い旅を共にしなければならないかもしれません。

わたしたちは天使のように、他の人をなぐさめ力づけるように創られています。

使徒パウロは友情を築くための方法について実用的なリストを作っています。
それは、無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなど一切の悪意を捨て、
互いに親切にし、憐れみの心で接し、許しあうことです。

また、パウロはキリストがわたしたちを愛したように
わたしたちも愛によって歩むように勧めています。

ではキリストの愛とはどのようなものだったでしょうか?
それはわたしたちのために、十字架の死と苦しみを受け入れられた愛です。
十字架の上でイエスはさびしさも落胆も見捨てられた状態も感じられました。
わたしたち人間が味わう苦しみを感じられました。
しかしキリストはわたしたちを救うために、
ご自分を神へのいけにえとして献げられました。

わたしたちも完全にキリストにならうなら、
イエスのように苦しみを味わうことになるかもしれません。
もしわたしたちが完全に犠牲的な苦しみにあずかるなら、
もしわたしたちが完全に長い間耐え忍ぶなら、
イエスのように人を愛するようになるでしょう。
イエスが死によって命と力を与えたように
わたしたちも愛によって他の人の力になります。

そして、イエスはわたしたちにその力を与えるために
ご自分を食べ物となさいました。

「わたしは天から降ってきた生きたパンである。
このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。
わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

キリスト者はこの命のパン、つまり御聖体を受けます。
そして御聖体を受けたキリスト者は心からの同情、親切、許しによって他者を愛し、
イエスと同じように生きている食べ物となります。

またこれは神の山に登る力をも与えます。
イエスは愛をもってわたしたちに呼びかけています。
「起きて食べよ。」
わたしたちの前にはまだ誘惑と苦悩でいっぱいの長い旅があります。
神への信頼を持って旅を続けましょう。


                                  マホニ神父