私が中学校のころ、近所にユダヤ人の少年が住んでいました。

彼の名前はジョージ・マクレスといいました。

そのあたりに住んでいた人達の大半はカトリック教徒でした。

ジョージはいつも私たちと一緒に遊んでいましたが、

わたしたちカトリックの子供達は、彼がユダヤ人だったので

自分達とは違うと考えていました。


ある日、何が原因だったかよく覚えていませんが、

私達はジョージをグループから仲間はずれにすることにしたのです。

みんなでジョージと話さないように約束しました。

みんなが遊んでいる時、ジョージは家の前で一人で立っていました。

だれも彼と一緒に遊びませんでした。

道で出会っても挨拶もしませんでした。


ジョージのお母さんのことも思い出します。

彼女は家の窓から私達に向って声をかけました。

「ジョージといっしょに遊んでやって!」

でも私たちは知らんぷりして遊び続けました。

ある日彼女は家から出てきてみんなを呼びました。

「ジョージと一緒に遊んでちょうだい!みんなにクッキーを上げるから」

そしてクッキーの箱を出してみんなに配りました。

このおかげでジョージは仲間はずれにされなくなりました。

それからしばらくしてジョージは私の親しい友人になったのです。

ジョージと友達になってみて分かったのは彼のお母さんも

とてもすばらしい人だということでした。

たびたびジョージの家に招かれて夕食を共にしました。

いつもとてもおいしい料理でした。

彼のお母さんもいつも親切でした。

ジョージが仲間はずれにされていた間

彼のお母さんもとてもつらかっただろうと思います。

自分の息子が差別されているのを見たとき

大変苦しみました。

ジョージの悲しい顔を見た時には

お母さんも悲しみを深く感じたのです。


福音書の中にこんな話があります。


カナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。
娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。
しかし、イエスは何もお答えにならなかった。
そこで、弟子たちが近寄って来て願った。
「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」
イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか
遣わされていない」とお答えになった。
しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、
「主よ、どうかお助けください」と言った。
イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」
とお答えになると、 女は言った。
「主よ、ごもっともです。しかし、
小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
そこで、イエスはお答えになった。
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」
そのとき、娘の病気はいやされた。



この話の中ではカナン人の女とイエスのやりとりが描かれています。

イエスはユダヤ人を救うために使わされました。

だから最初にイエスはカナン人の女を断りました。

弟子達はみな彼女が異邦人なので、イエスに

「この女を追い払ってください」と言いました。


なぜ彼女の娘を助けないのか、イエスはそのわけを親切に説明しました。

「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか

つかわされていない」

しかし、イエスに断られてもこの母親はひれ伏して

「主よ、どうかお助けください。」と言いました。

イエスはお母さんの願いを聞いたとき、多分この母親と娘が

かわいそうだと思ったでしょう。

でもまた断るようなことを言われました。

けれども彼女はもう一回勇気をだして心から願いました。

よく見るとこの箇所は口げんかをしているような会話です。

最後にイエスは自分が負けたことを喜びを持って彼女に伝えました。

「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」


私たちは自分達と違っている人をよく差別します。

自分のグループに入っていない人、近所に住む風変わりな人、

別の国、別の肌色の人たち。

たぶんそのように差別された人のお母さん達は私達に向って

「わたしの子を受け入れてください!」

と願っているでしょう。


はっきり言えることがあります。

母マリアは今わたしたちに願っています。

「わたしの子を受け入れてください!」

「わたしのひとり子の言葉を聞いてください!」


「私の兄弟であるこのもっとも小さいものの一人にしたことは、

私にしてくれたことなのである。」



                                  マホニ神父