カトリック教会ではイースター(復活祭)前には
四旬節という40日の期間があります。
そして四旬節の最初の日は灰の水曜日です。
灰の水曜日のミサで読まれる次のような言葉を見てみましょう。

「あなたは、信じる人々が復活の神秘を喜びのうちに待ち望み、
年ごとに心を清めて迎えるよう導かれます。
こうして私たちは祈りと愛の業に励み、
新しい命の秘蹟に共にあずかり、神の子の豊かな恵みに
満たされるように努めます。」

ここには、
「あなたは信じる人々が復活の神秘を喜びのうちに待ち望み」
とあります。
わたしは長い間、四旬節は悲しい時、喜びのない時であると考えていました。
しかし、ここではそのようにいわれていません。
「喜び」とあります。
待ち望む喜び!

子供は、誕生日を何週間も前から待ち望みます。
誕生日のプレゼントをもらえるからです。
すばらしいプレゼントを期待しているので、
待っている間は悲しみではなく、喜びを感じています。

また次の言葉を見てみましょう。
「年ごとに心を清めて迎えるよう導かれます。
こうして私たちは祈りと愛の業に励み…」
復活祭に復活されたイエスをよく迎えるために
心を清めることは必要です。
人間性の弱さから出てくる欠点と罪を心から追い出し、
そのかわりにきれいな心を用意しなければなりません。
これを成功させるために私たちは四旬節の間に
祈りと愛の業に励みます。

心を清めるために三つのことを実行します。
祈り、施し、断食。

この四旬節の40日間に毎日祈りのために時間を作りましょう。
イエスと一緒にいる時間。
聖書を読む時間。
聖書はみことばを味わうようにゆっくり読みましょう。
10分間で1節か2節だけ読みます。
これは一人でもできるし、また夫婦や家族といっしょにしても良いでしょう。

愛の業は断食と施しです。
断食と施しの間には密接な関係があります。
断食によって節約したお金は施しのために使えるからです。

しかし、断食とは本当に食事を制限することだけではありません。
旧約聖書のイザヤ書に次のような言葉があります。

「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。
悪による束縛を絶ち、
くびきの結び目を解いて、虐げられた人を解放し、
くびきをことごとく折ること。
さらに飢えた人にあなたのパンを裂き与え、
さまよう貧しい人を家に招きいれ、
裸の人に会えば衣を着せ掛け、
同胞に助けを惜しまないこと。」

また施しとは次のように行うことでもあるでしょう。
他の人に親切にすること。
失望している人を励ますこと。
病気の人を見舞うために自分の時間を犠牲にすること。
困っている人がいれば手助けすること。

そして最後に四旬節の目的ともいえることばを見てみましょう。
「神の子の豊かな恵みに、満たされるように努めます。」

神様が私たちに与えたこの喜びの季節の間に努めましょう。
復活祭には大喜びでイエスと出会うことができますように。

昨日散歩をしている時、木々の枝に小さなつぼみを見ました。
桜の木にも小さなつぼみがついていました。
これを見て、この季節は成長の季節だと感じました。
四旬節も成長の季節です。
いのり、断食、施しによって私たちの愛が成長します。
神に対する愛と他の人に対する愛が成長します。

四旬節の40日間、一緒にがんばりましょう。

イエスの呼びかけを聞いてください。
「時は満ち、神の国は近づいた。
悔い改めて福音を信じなさい。」

マホニ神父